永淵は佐賀高からノンプロ東芝にかけて投手として活躍、昭和43年近鉄に入団した。しかし、この年近鉄に迎えられた三原監督(現日本ハム球団社長)は彼の打力を高く評価、投手よりも野手として迎えたのである。43年度は109試合に起用され規定打席には不足したが打率・274本塁打5をマークして新戦力となった。早くも翌年には打率・333をあげ張本と同率で首位打者の栄誉をうけた。しかも本塁打20打点74をマークして長打力と勝負強さを発揮した。46・47年度は3割を記録、近鉄の主力打者として活躍を続けた。その後51年には日本ハムへ移籍。しかしこの年打率・260本塁打5に終わったことから体力の限界とみて現役引退を決意したが、大沢監督の慰留もあって思い留まった。今シーズンはオールスターの時点で打率・243本塁打9の成績であるが、指名打者または右翼のほか代打としても勝負強さをみせている。
 上掲の写真は真ん中やや内角よりを右方向に打ち返したものと考えられるが、フォロースルーにおける腕の伸びと手首の返りなど見事なフォームを示している。態勢を低くするため広いスタンスをとっているが、両ヒザをしぼり、バットの角度にも無理がない(@〜B)。足の裏を中心にした踏み出しのため安定しているが、身長に比べ足幅が広すぎるためか下半身に硬さがみられる(C〜E)。
 スイングに移るや左足を送り込んでいるが、足幅が広いため右ヒザが前方に折れ、しかもインパクトの直前に右足が伸びている。これは腰の回転と力の溜めに不利である(F〜H)。バックにおける腕の張りは見事であるが、インパクトまでは前ヒザにゆとりを持たなければこれが生かされてこない。
 フォロースルーにかけては両腕が前方によく伸び、体の中心を軸としたスイングを示し、また水平打法のため左手首がうまく返っている(I〜K)。上半身に対する注文はないが、踏み出しの足幅を狭めること、これが柔軟な腰の回転に結びつくことを進言しておく。 永淵 洋三
課題は踏み出しの
    足幅を狭めること
          解説・松木謙治郎
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